わかやま滞在録
- フウカ

- 2021年1月28日
- 読了時間: 4分
更新日:2021年1月29日
2週間の滞在予定が、いつのまにか3ヶ月に。
その間に思ったあんなことや、こんなことのまとめ。
きっと私は「観光」にいろいろなことをもとめすぎているのかもしれない。

・都会の人が語るイナカ
都市に生活拠点を持っている人は「イナカ」を、どんな場所として切り取ってイメージしているのだろうか。田舎暮らしがしたい人、田舎で起業がしたい人は、たくさんある選択肢の中から選んだその地域を、田舎というフィルター無くしてまなざすことはあるのだろうか。田舎としての魅力ではなくて、その地域ならではの文化や習慣に目を向け愛着をいだけるのか?都会と田舎の構図から離れて、音や匂い、生活を感じているのだろうか。
果たして、彼らにそんな思いを抱くことはエゴだろうか。

「田舎」や地域活性化の事例は、都市を介すことで価値が与えられている。雑誌に取り上げられ、講演会で語られ、それらを見るために各地から都市に人が移動することをアイロニックに感じずにはいられない。
移住者と地元の人

移住者に向けられるヨソモノへの目線。その確執は、先祖代々の「家」を背負って住民1人1人がアイデンティティをもっていることにあるのではないか。そう思っていたら、実際に移住のパイオニアだと自負するおじいさんが同じことを口にしていた。「移住者1代目で地元の人として受け入れてもらうことは無理だ、3代目くらいにならないと」と。
日常会話に出てくる屋号、冠婚葬祭で避けられない本家分家概念。地域のお祭りや行事で同等に役割を担えたとしても、そこにルーツがなければ彼らは延々にヨソモノから抜け出せないのだろうか。その意識は、地元コミュニティが生んだ幻惑ではないか。
・移住体験の意義

移住ツアーって面白いのだろうか。アテンドされて、用意されたコンテンツを体験するなんてそれこそ大衆向け観光ツアーみたいだ。お金の代わりに、地域住民となることが返礼となった「商品」以外のなにものでもない。私にとって、その地域の絶対的な価値は、その土地への思い、経験と人との出会い。だとすれば、移住を促すものはサービスではなくて、本質的な地域とのつながりや人との交流であって、それはツアーの中に組み込めるものではなく双方向的なコミュニケーションによってのみ成り立つのではないか。
移住者が補助金制度や行政のサポートありきではなくて、まずその地域を好きになって住みたいと思っていてほしい。
・旅の位置付け

暮らすように旅する、旅しながら暮らすというライフスタイルの文脈で語られるワーケーション。非日常であった旅を、日常にしてもそれは旅になり得るか。私にとってその経験が旅として成立するためには、非日常でないにせよ異日常でなければならない。
いずれにせよバケーション中に仕事をすることと、ワーケーションを別の概念とすることには賛成できる。しかし、ワーケーションが前述のライフスタイルに組み込まれて語られることにどこか違和感を感じずにはいられない。彼らにとっての「旅」は、きっと私が「旅」として認識しているものとは違うのだろう。
・日本人の宗教感

寺社仏閣は今でも主要な観光目的地だ。巫女としてとある大社に勤め、参詣者それぞれの向き合い方にとても興味を持った。大社の注目のされ方は、建築的価値、歴史的価値、パワースポットだから、信仰対象として、観光名所としてなど実にさまざまだろう。お守りやお札を受けるのに、熱心に意味を聞いて選ばれる人もいれば、まるでどこかのタイムセール会場かのように品定めをしていそいそと去っていく人も、御朱印を受けてからその場所や読み方を聞かれるような方もいる。大抵の人は寺と神社の違いや、その神社の由来も知らない。ましてや自分は無宗教であるという認識でありながら、その地域で特別な存在感をもつ場所としての誇りや認識を内外から寄せられるなんて、なんて不思議な空間なのだろう。

私はインドでヒンドゥー教寺院をめぐるのも、タイでお寺を巡るのも飽きることはなかったけれど、私が知っている日本を訪れた外国人は「もう寺社巡りはいいや」という人が多かった。それは宗教観の違いか、単なる個々人の好みの問題か。御朱印集めをする外国人のモチベーション、授与品に対する態度も気になるところである。



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